vezelの大航海時代onlineはおわり。
面白かった。
能登に住まう皆さんに感謝を。
FMOが面白くなるんじゃねーのと期待していた俺は、Yurius.Valhardことcolo256の「大航海時代online期待論」に興味を示し始める。cβへぶらりと応募。
10倍とも聞く競争率の中、ひょっこりと当選。
というか、cβの段階で募集人数五桁なんだよね。
10倍だとすると10万人応募になるわけで、とんでもない数なんだけど…確かに自身の周辺ではほとんどの人間が落選してた。
当選はしたもののそれほど熱心でもなかったので、cβ開始四日目にようやく初接続。
3DのMMOってそれまでまともにやったことなかった。
なんとなくイスパニア。とりあえず軍人。
そして第1回大海戦、カサブランカで対ポルトガル戦。
戦闘用キャラベルで参加。勝ったり負けたり。
まぁゴム軍団(当時のトップ集団)には勝てんわ。
当時のイスパニアは人数面で劣っているということもなく、終わってみれば無難に勝利。
浮き輪が戦闘中にも使えたり、沈没後も修理や外科などスキルが発動できたりで、さすがクローズというべきか、システムには無茶で詰め切れていない部分が多くあった。
第2回大海戦「無敵艦隊北上」。
ドーバー攻め。本来は領地なのに、海戦にあわせて同盟に変更されるスペシャルイベント。
当時は投票ではなく、運営のイベントとして海戦が行われていたのでこういうことが可能だった。
ナメクジすぎて未だに戦闘用キャラベルのままだった俺。
序盤、イスパニアがイングランドを押す。
後半、イングランドが巻き返す。
結果、引き分け。
ロンドン酒場はかなりの盛り上がりだったとか。
この海戦を境に、イスパニアは人がいなくなり始めた。
第3回大海戦「アントワープ争奪戦」。
ようやく強襲ガレーで参加。悪夢とも屈辱とも捲土重来の覚悟を固めたとも、ともかく「その後」を決定づけるイベントだった。
終始圧倒的な人数差。多数援軍。青ゾーン無し。収奪有。難破ペナルティ有。
某総帥氏の艦隊に参加、なんとか一勝を得たが、一度負けたらあとはもうどうしようもない。
遠くからソロで宣戦、撤退線付近でオシリペンペンしてやろうと思っても、敵援軍が重なり状態で入ってくる。
敵中で白旗になって、何も打つ手がなく諦めてログアウト。
恐らくイングランドが今後の最強国になっていくのだなと感じた。
プレオープン開始。
アントワープの借りを返すべくNotosイスパニアへ。
それを可能にすべくRahab’memberをこの国へ大量拉致。
数日目からラスパルマスで対英集団私掠開始。
とはいってもまだ育成にめまぐるしい時期でもあって、お試し程度。
まだほとんど出回っていなかったバーバリアンガレーをセビリアへ運んで小銭を稼いだりしていたころ、アテネでマウスなる人物と遭遇する。根からのイスパニア軍人であり、またcβ経験者で、あのアントワープ戦を知るということから、意気は合う。
またcβ時代に悪役商会に属していたその人脈は深く、結果として商会活動で多方面にお世話になることになる。
この頃、まだ商会チャットなんてものはなく、知人間でチャットルームをたてて談話する日々。
今じゃぁ御伽噺のようなものだが、NF商会長のeの人なんかも我々のルームで会話していたし、竹氏なんかはレベリングなんかでも行動を共にすることが多かったのです。
遠く懐かしく今ではありえない話。
プレでの第一回大海戦。
cβ第一回目と同じカード。カサブランカ。
まさかの圧倒的人口差。
戦闘そのものは、商会としては3艦隊15人、一日目約90勝5敗。
ファロ前のど真ん中で二時間ぶっ続けで戦闘。
二日目以降はマークが厳しくスコアは落ちる一方。
海戦中に罵詈雑言の類を多々受けたメンバー一同から、私掠を対葡戦へ変更したい意向が次々に。
このことから、初期のカリカットなど、515で完全におちつくまでは、対葡色の濃い状態に。
で、根本のはずの対英はというと、アテネ投資で押したり引いたりしたころから緩やかに休戦へ。
大海戦においては、七月のアテネで一応の勝利を見たのでそれで満足してしまった。
戦列だの新都市だのにつられて一応プレイを継続してはいたけれども、やりたいこともなくそろそろ燃料切れ。
あのアントワープがなければこの商会はなかった。
マウスはじめ希代の人材とめぐり合えた幸に感謝。
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さらばGVO。
願わくは、いつか再び同じmemberで集まりたいな。
大航海時代online2にでも期待するかw